Diary of a Perpetual Student

Perpetual Student: A person who remains at university far beyond the normal period

技術的なアウトプットに疲弊したので振り返る

2022年は技術的なエントリをそれなりの数書いてきた。特に12月は計10本のエントリを出し、まだ世に出せていないネタもたくさんあるという状況である。

ところが、当人の感覚としては暖簾に腕押しだなあと思っている。ということでちゃんと振り返ってみることにする。

stats

2022年で一番ブクマが多かった記事はblog.arthur1.devである。

他の記事はこの半数にも満たない、というか、片手で数えられるブクマ数でさえありがたい、という状況である。

書くという行為によって自分自身の理解が確かなものになることに意義は感じているものの、せっかく書いているのだから多くの人に読んでほしいし、それが読者のためになればなお良いと思っている。

もっとシビアに言ってしまうと、書いても読んでもらえない状況がずっと続くならいつか自分は筆を取るのをやめてしまうだろうという懸念がある。モチベーション維持のために今のうちに何とかしたい。

この現況についてはいろんな仮説を立てている。

仮説

ボトムアップで描かれた記事はとっつきにくい?

自分は普段何かを説明するときに、全てを理解してもらうために0から話し始めることが多い。これは論文書きの仕草から来ている。論理の飛躍があった瞬間にその論述の信頼性は大きく下がってしまう。

どんどん事実が提示され最終的に主題に辿り着いていくスタイルだと、文章が長くなり、読み物として読みづらいものになるのかなと思う。

小学生のうちは円周率を魔法の数字 3.14 として考えるように、fundamental な部分の厳密性をあえて欠く、という選択肢も考えるべきである。一番伝えたいメッセージを決めた上でメリハリをつけて説明量を調節したい。他の文献に譲る、記事を複数に分ける、という素朴な工夫ももっとできるはずだ。

ネタがニッチすぎる?

選んでいるネタがニッチすぎて需要がないのかなとも思う。前項と関連して、細かすぎるネタを選んでいるからこそその説明にかかる時間が長くなってしまい、ボトムアップで説明されたむやみに重厚な、でも需要に乏しい記事ができてしまうのかもしれない。

逆に、自分が当たり前のように知っていた知識を他の人がエントリにするとバズっている、という経験が何度かあった。哺乳類の自分にとっては「陸上での呼吸の仕方」を共有してもしょうがないと思っているのだが、実は地球には魚類もたくさんいて「知らなかった、すごい!」という反応をする、といった具合である。

現在あるセミナーへの登壇準備を進めていて話す内容を考えているところなのだが、こういう仮説を立てている自分として一般受けしそうなソフトスキル寄りの話に逃げたい、というバイアスが掛かるようになってしまった。

掴みが弱い?

エントリを読む/読まないを選択するときに、以下の情報を参考にするだろう:

  • タイトル
  • ogp 画像
  • 本文の最初の数行

ここでのアピール力が足りないのではと思っている。

タイトルに関してはここ最近ある程度気を使っていて、人間の感性に添った表現を心がけている。もちろん、昨今の YouTube のようなサムネ詐欺はやりたくないという美学はある。

存在感がない?

自分の Web エンジニアリング界隈での存在感は 0 に近い。社のエンジニアたちを見ているとそのあたりすごいなと思う。

現在の Web というプラットフォームはスケールフリーなネットワーク(次数の分布が指数関数)になっていて、ごく少数のノードが大きな影響力を持っている。これが Memex 構想を提唱した Vannever Bush が望んだ未来であろうか(反語)と思うこともある。Web が好きだからこそ、 hypertext の一実装でありながら、文書自体の関連性(つまりエッジの中身)よりもネットワークの構造自体が支配的に働いたり、メディアの持ち主が消してしまうと有益な情報が失われてしまったりする Web を憎んでいる。

愚痴はさておき、世の中を変えるほどの力はないのでなんとか順応して食い込んでいくしかない。今のアウトプットを地道に続けたらうまくいく、という単純なものではないことだけはわかっている。

2023年のアウトプット

ということで、2023年は以下のアクションを取ってみることにする。

  • もっと他人の記事を読む
    • 内容だけでなく、自分が面白いと思った記事の伝え方を観察する
  • 全てを自分が説明せず、適切に他の記事に譲る
    • このエントリが役に立った、という情報自体が有益であるはずだ

続き:

blog.arthur1.dev