遠い昔に学園祭の Web 開発をしていた話をするシリーズもの
- 具象編1: 講習会と砂場遊びで支える組織
- 具象編2: 実際に使っていた技術や開発の仕方について語る ←イマココ
- 抽象編: 学園祭の開発部署という組織や、学園祭Webサイトというプロダクトの性質から語る
今回は泥臭い技術の話をしていく。
インフラ
当時はさくらのレンタルサーバで、 PHP でできた Web アプリケーションを動かしていた。レンタルサーバが設けた制約により、言語の選択肢はないに等しかった。
レンタルサーバを脱出して VPS にしようという話も出ていたが、我々の代でそれを行うことはしなかった。インフラ、サーバ管理に関して知識がある人間があまりにも少なかったからである。自分は個人で VPS を借りて遊び倒していたが、それを組織に展開するには運用持続性の面で疑義があった。
サーバは本番環境と開発環境の 2 つがあった。開発環境は、各自が実装したものを動作確認するために気軽に利用されていた。
ローカルの開発環境を用意していたのは自分の学年では自分だけだったと思う。Windows PC 上に XAMPP を立てて動かしていた。Docker は知らない子だった。自分は動的な部分(フォームなど)の開発を任されていたので、ローカル環境がないととてもやってられなかった。
Web アプリケーション
HTML をサーバ上で動的に組み立てて吐き出す、という古来のサーバサイドレンダリングであった。2015,16年というと Vue.js の v1 が出た、ぐらいの世界で、フロントとサーバサイドを分離するという思想は広く浸透していなかった。
フレームワークには FuelPHP を用いていた。なぜこのマイナーフレームワークを選定したかは分からない。昔のサイトがこれでできているから使った、という程度のものである。一応、Laravel が今ほどに人気になるより前の時代ではあった。
基本的な機能は備えていたので、下手なことをしなければ XSS や SQLi を回避できるようにはなっていた。
コードは MVC アーキテクチャで作られていた。後にリッチな View に引きづられて Controller が肥大化することを問題視し、Presenter 層を生やしている。
ちなみにテストは誰も書いていなかった。
git を使わないという選択
今思えば大分大胆なのだが、git は一切使っていなかった。サイト公開まではファイルをローカルの思い思いのエディタ(vim派、SublimeText派、atom派で分かれていた)で編集し、それぞれが本番環境に FTP でアップロードして更新していた。コードレビューなんてものもなかった。
GW には大学に集まって集中して開発を行っていたのだが、その時は衝突しないようにデプロイできる権利カードを物理的に受け渡していた。
ソースコードはサーバ上にあるものがマスタであったので、定期的にバックアップを取って切り戻せるようにはしていた。
バージョン管理を取り入れられなかったのは、やはり持続的にみんなが運用できるかというところに不安があったからだ。
前回講習会の話をしたが、1年間で HTML, CSS, JavaScript, PHP, SQL ... を詰め込むだけで相当頑張っていた。ネットワーク局は「一からでも上級生に教えてもらえるから大丈夫」ということで勧誘をする。技術的に長けているサークルは他にたくさんあるので、元からできる人はむしろ入部してこないのだ。
そこで、お客さんや学生にサイトを届けるという目標に直接関連しないバージョン管理の優先度は落とされることとなった。一応、1年間これで何もインシデントを起こさずにやってこれた。
維持するより建て直す方が楽
学園祭サイトの賞味期限は短い。毎年テーマに合わせたデザインにしているし、企画も毎年異なる。よって、サイトは毎年一から作り直していた。
他人のコードを読むという行為は本当につらい。増して、プロでもない学生のコードであればなおさらである。
また、Web アプリケーションエンジニアなら分かってもらえると思うが、ライブラリやフレームワークのアップデートというのは本当に toil で、積み重なり負債になりやすいものである。
1年に1回、その時の最新のバージョンでモノを作るから、その後は重大なセキュリティに関連しない限り更新しなくて良いね、というスタンスだった。
一度、継続して運用していくという前提で受験生応援サイトというものを開発した。合格体験記をどんどん蓄積していく CMS のようなアプリケーションで、データベースに体験記のレコードを追加すればページが勝手に増えるものであった。
自分がいなくなった後どうなったかというと、きちんと引き継がれることなく放置され、現在は作り変えられて消滅している。引き継ぎ資料としてドキュメントも作ったし、そんなに難解なコードでもなかったと思うが、サイトに新たな記事が追加されることはなかった。
毎年人が入っては消え、3年間で全員入れ替わる組織で、何かを継続して運用するというのは本当に難しいのだ。
ページスピードにこだわる
概ね poor な運用への言い訳になりつつあるので、技術的に頑張っていたこともあるんだよ、という話をする。
我々は Pagespeed Insights (現代で言うと Lighthouse)の得点をすべて 100点にすることに魂を燃やしていた。
例えば jQuery を意地でも使わないためにタブの切り替えやハンバーガーメニューの動作を CSS だけで実装したり、CSS を圧縮してインライン化したり、といったの工夫を行っていた。当時の取り組みを、学生時代の自分がブログに output していたので貼り付けておく(現在非公開)。
Google Analytics で取れるデータや、 Pagespeed Insights や Lighthouse が指摘してくる事項を眺めて、閲覧者の体験をよくするために何かできるか、ということをよく考えていた。数字が目に見えるものは、目標が明確で取り組みやすい。
まとめ
技術的な取捨選択の判断をメンバーの総意で行えていたことは、振り返ると学生集団としては意外とすごいことかもしれないと思う。明確な理由を持って提案し、多角的に評価して採択・棄却を行うという仕草は、社会人として雇われエンジニアをしている今もかなり役立っている。大学生の4年間というリソース*1は有限ではない。
一方で、いつ何か起きてもおかしくない綱渡り状態だったのは事実である。最近の学園祭サイトは、広告を載せて協賛企業からお金をもらい学園祭開催の資金としているものも多いだろう。企業と書面を交わし契約をしている立場なのだから、 availability にはもう少しシビアになるべきかもしれない。
次回は、具体的なエピソードではなく、現代の Web 開発のトレンドも踏まえた上でもう少し一般論の話をしようと思う。
*1:id:arthur-1 は学部で7年間過ごした